パチンコが救ってくれた

「もうスロットやめよう…」

何度自分にこう言い聞かせたか、
数え切れません。

何をやっても勝てない。
お金は減っていく一方。

「どうせ勝てないんだ。
お金がもったいない…」

頭で分かっていても、
なかなかやめられるものじゃない。

数日すれば、「次こそは…」
その繰り返し。

客観的に見れば、どうしようもない男。
いわゆる「養分」。

そんな私が、
まさかパチンコで
400万も勝てるようになるとは、

この時は想像もしていませんでした。

幼少期から身近にあったパチンコ

幼少期から身近にあったパチンコ

生まれは静岡。

昭和の終わりに、
ごくごく普通の家庭で生まれました。

典型的B型、おおらかで放任の父。
典型的A型、几帳面で厳しい母。

ちょうど足して2で割ったようなO型の私。

今思えばバランスのよい両親に
育てられたと思います。

厳しい母のおかげで、
食べられないものがない。

これは私のちょっとした自慢です。

私が幼かった頃、
父の趣味はテニスとパチンコ。

特にパチンコは、
毎週末行っていたと思います。

というのも、
私の実家のマンションの
目の前にあるのが大きなパチンコ店。

パチンコを打つようになった
今になると分かるが、
そりゃ毎週末行きますわ笑

週末。
夕飯の時間になっても帰ってこない父。
母からのいつもの指令。

「迎えに行ってきて」

そう、

私のパチ屋デビューは未成年も未成年。
なんと小学生のときです。

(10歳にもなっていなかったかと…)

確変中の父。
隣に座って終わるのを待つ私。
(今の時代なら問題になりそうな光景)

景品交換のときには、
500円をよくもらっていました。

小学生にとってはそれはもう大金です。
(これを目当てに迎えに行っていた
 と言っても過言ではない)

当時としては画期的だった3Dゲーム
「NINTENDO 64」

これも、パチンコの景品で
父がとってくれました。

小学生の頃から
パチンコで期待値稼働してますね。

しかも、リスクゼロで 笑

順風満帆な学生時代

順風満帆な学生時代

小中高は地元の公立学校へ。
まぁ、ごくごく普通の家庭でしたから。

ただ、自分で言うのもなんですが、
勉強は向いていたようで、
成績はわりと優秀でした。

中学の内申点は44/45。

(美的センスが皆無なので、
 美術だけは一度も「5」が
 とれなかった…)

高校は、当時静岡でNo.2の進学校へ。

前期試験(小論文と面接?)で
合格したので、私立のすべり止めも
受験不要でした。

中学生の頃から目指していた
小学校教員になるため、
志望大学は神奈川の某国立大学教育学部。

模試ではずっとA判定でしたが、
センター試験本番の国語でコケて
初めてB判定に笑

それでも無事に現役合格。

大学受験も、
私立大学は「受かっても行かない」
という理由で1校も受験しませんでした。

我ながら思いますが、
本当にお金のかからない息子でしたね。

高校時代は予備校にも通わなかったですし。

ちなみに部活は中高とバスケットボール。

練習にはまじめに出ましたが、
そこまで勝ちにこだわるタイプでもなく。

一度もレギュラーにはなれませんでした。

と、ここまではよく見る
ちょっとデキのいい、
いたってまじめな学生。

しかし、やはり都会の大学に通うと
いろいろと誘惑があるわけで…

悪魔の誘い、そして沼へ…

悪魔の誘い、そして沼へ…

学生のときにマクドナルドで
バイトしていた両親からの勧めで、

私もマクドナルドでバイトを始めました。

当時はまだ24時間営業ではなく、
23時閉店。

私は、15時〜24時の「クローズ」と
呼ばれるシフトで働いていました。

同じクローズのシフトで働くメンバーは
だいたい決まっており、
私と同じような大学生かフリーター。

この「クローズメンバー」の先輩方から、
良くも悪くもいろいろな遊びを教わり、
大きな影響を受けることになります。

まずハマったのがダーツ。

24時まで働き、
その足で近くのダーツバーへ。

朝5時の閉店まで投げまくり、
帰って昼過ぎまで寝る。

こんな生活に変わりました。
(典型的な夜型大学生笑)

かなり投げ込んだおかげで
わりと上達しました。

カウントアップで1,000点以上
とれるほどの腕前に。
(3投中2投は真ん中に刺さる)

そしてこのダーツバーにて、
現在の私につながる
超重要な出会いがあります。

そう、スロットマシンです。

初代番長と初代北斗

今でも忘れません。

初代番長と初代北斗が
そのダーツバーには置かれていたんです。

ゲーセンスロットなので設定は4。
(少し勝ちやすい設定)

と言っても、
最初は見向きもしませんでした。

ダーツにハマっていたんですからね。

しかし、一緒にダーツをする先輩には
スロッターもいたわけで。

彼らが打ち始めるんですよ。

彼らが打っているのを隣で見ていると、
次第に興味を持ち始めます。

そのあたりはさすがパチンコ好きの
父の息子と言ったところ。

血には逆らえません。

そしてついに、
自分のお金で打つ日がやってきます。

100円で30クレジット(メダル30枚分)
あっという間になくなる1,000円。

「こんなに早くお金が
 なくなっていくなんて…」

当時はそんな恐怖に似たような
感覚をもったことを覚えています。

しかしその一方で…

やはり、連チャンする時は
気持ちがいいほど連チャンします。

味わってしまったんですよね。

脳汁というものを笑

それでも、すぐにパチンコ店で
打ってみたいとは思えませんでした。

なんたって、お金がなくなるスピードが
6倍になるわけですから。

そりゃ怖い。

そんな私に、悪い先輩はささやきます。

「1万円捨てる覚悟で1回行ってみようぜ」

今思えば、
彼は私を連れ打ち仲間にするために、
少しずつ教育していたのでしょう。

そしてついに、
パチ屋デビューを果たします。

大学2年生、20歳のときでした。

例の先輩に連れられ、スロット専門店へ。

言われるがままに座った機種は
パチスロ「リングにかけろ」

パチスロリングにかけろ

この初打ちの結果がどうだったか。

今でも私がパチンコを打っている
ということは…?

はい、勝ってしまいました。

投資4,000円、回収44,000円の快勝。

当時の時給900円のバイトを
8時間 × 5日働かないと稼げないお金が、
ものの数時間で手に入ってしまったんです。

完全に味を占めました笑

この初打ちでボロ負けしていたら、
今こうしてこの記事を私が書いていることも
なかったかもしれません。

人生とは、あらゆる出来事の結果で
できているんだなぁとしみじみ…

さて、それからはのめり込むように
パチスロを打つように。

休みの日はもちろん、
暇さえあればパチンコ店に行き、
スロットを打っていました。

(たまに気分でパチンコを
 さわることもありましたが、
 ほとんどスロットでした)

スロットやパチンコって、
普段の生活で味わえないような刺激があって
最高に楽しいゲームですよね。

そのうえ、勝つことができたときの
あの快感ったらたまりません。

「勝った時の気持ちよさ」を求め、
来る日も来る日もスロットを
打ち続けました。

しかし、当時の私は
「立ち回り」なんて言葉を知りません。

台選びの根拠?
そんなもの雰囲気です笑

  • めちゃくちゃ飲まれている台だから、そろそろ吹くんじゃないか🤔
  • 朝から一撃で出ているから、このあと凹みそう🤔

ほんとにあほですね…笑

当然勝ち続けられるわけもなく、
負けに負けました。

収支なんてつけていなかったので
正確には分かりませんが、

年間で20〜50万は間違いなく
溶かしていました。

スロット卒業?

スロット卒業?

バイト先の先輩の教育が成功し、
養分スロッターに仕上がった私ですが、
大学の単位だけは毎年しっかりとりました。

留年も休学もすることなく、
無事に4年で卒業します。

また、教員採用試験にも合格し、
小学校教員としてのキャリアを
スタートさせることに。

すでに教員になっていた大学の先輩からは、
「教員は忙しい」と聞いていました。

「あぁ…もうパチンコやスロットは
 打てなくなるんだな…」

辞令交付式前日の3月31日。

打ち納めとして、もちろんパチ屋へ。

ちょうどパチンコに
ハマっていた頃だったので、

当時新台だったパチンコ
「花の慶次 ~愛~」を打ったことを
今でも覚えています。
(無論、負けました笑)

そしてついに、
忙しい教員生活がスタートしたわけですが、
ほどなくしてある事実に気づきます。

「別にパチンコ打ちに行けるじゃん」

平日に早く帰れるときだってある。

別に、土日が全てつぶれるわけではない。

さすがに大学時代と同じように…
とはいかないものの、

ごくごく普通にパチンコスロットは
打ち続けることができたのです。

こうして無事に(?)
スロッターを続けることができた私ですが、

本業の方はかなり苦労しました。

4年目くらいまでは
まだ楽しんで仕事できていた方でしたが、

経験年数を重ねるごとに仕事が
重く、きつく、辛いものに
なっていきました。

健康で文化的な最低限度の生活が送れない教員生活

健康で文化的な最低限度の生活が送れない教員生活

しんどいクラスの担任を任されるし、
校内で割り振られる仕事も
どんどん重たくなっていきます。

最近は「教員はブラック」というのが
浸透しましたが、まさにその通り。

  • 基本8:00〜20:00の12時間勤務
  • 休憩時間はなし(とれない)
  • 持ち帰り仕事あり
  • 休日出勤あり

どれだけ残業しても、休日出勤しても、
残業代も手当もありません。

公務員ですからね。

いくら残業しようが、
「好きで働いている」という扱いです。

年々、疲弊していきました。

「定年まで教員は続けられないな…」

20代後半にして、そう感じたほどです。

そんな疲れた体でしたが、
週末のスロットだけは元気になります。

朝イチの抽選に参加するときは
早起きするし、

電車移動してでも優良ホールに
足を運びました。

「パチンコ店がオアシス」みたいなところ
ありますよね。

スロットを打っている間は、
辛い仕事のことを忘れらますから。

そんなわけで、
大学卒業後も飽きが来ることなく、
スロット・パチンコを打ち続けました。

無論、負け続けました。

「なるほど、そうすれば勝てるのか!」 が…だめっ…!!

「なるほど、そうすれば勝てるのか!」 が…だめっ…!!

負け続けいた私でしたが、
28歳の頃にちょっとした転機が訪れます。

「ハイエナ」という立ち回り方を
初めて知ったんですね。

「少ない投資で当たりやすいゲーム数」
で捨てられた台を拾うという立ち回り。

要は「おいしいところ」だけ
打てば勝ちやすくなるよね、と。

(パチンコで言うところの
「遊タイム狙い」と考え方は同じ)

当時は、
「スロットは運と引きで勝つものだ」
と思っていたので、

「そんな勝ち方があるのか!」と
ちょっと興奮しましたね。

天井狙いやゾーン狙い、スルー狙いなど
機種によって様々な狙い目があることを
学びました。

早速パチンコ店で実践!

そこからは、トントン拍子で
勝ちを重ねていくことが…

できませんでした泣

その理由は明確で、
「ハイエナ」に徹することが
できなかったから。

というのも、どうしても
「高設定に座りたい」という気持ちが
おさえられなかったんです。

朝から設定6をツモって1日ぶん回し、
7,000枚出して気持ちよく帰る。

こういう展開に
やっぱり憧れるわけですよ。

しかし、
ろくにデータもとっていないピンの素人が、
狙って高設定をつかむなんて至難の業。

結果、低設定に座ることが
圧倒的に多くなるので、負けるのは必然。

そういうわけで、
相も変わらず負け続けました。

「ハイエナ」の立ち回りに徹していれば、
収支は改善されたんでしょうけどね…

13年間負け続け、自己嫌悪

13年間負け続け、自己嫌悪

大学2年生から2020年までの約13年間、
ひたすらに負けました。

収支を付け始めた2017年から
2020年までの4年間だけでも、
約80万円負けています。

2017〜2020年収支

4年で80万なので、
単純計算で13年で300万以上は
負けている
でしょう。

もうほんとにね、
収支をつけているのが悲しくなるんですよ。

これだけ負けていると、
「負けたお金があれば何ができたか」と
嫌でも考えてしまいます。

  • お気に入りのちょっと高い焼き肉屋に行けた
  • 好きなブランドの服を我慢せずに買えた
  • 値段を気にせず温泉宿を選べた

「お金の無駄だ…
 もうスロットはやめよう…」

そう何度も自分に言い聞かせました。

1月1日には、
「今年の目標はスロットやめる」と
毎年心に決めていました。

でも、やめられないんです。

だって、楽しいから。

スロットはあくまで趣味。

趣味でお金が減るのは当たり前。

別に借金しているわけじゃないし、
給料の範囲内で楽しむ分には
いいんじゃないか。

そうやって、
自分を納得させるしかないんですよね。

そんな私に、
今度こそ正真正銘の大きな転機が訪れます。

逆転の狼煙

逆転の狼煙

2020年頃から、
スロットは5号機から6号機へと
変わり始めていました。

「バジリスク絆」「初代まどマギ」などの
大変お世話になった(無論負けてます)
5号機たちが姿を消し、
スロットの射幸性が下がってきたところ。

それでも私は
スロットを打ち続けていたわけですが、

よく一緒に打ちにいっていた友人が
「パチンコの方がおもしろい」と
言う
わけです。

ただ当時の私は、
パチンコに対してかなりネガティブな印象
しかなかったんですよね。

  • 自分で操作している感がない
  • 一日ハンドルひねっているだけでつまらない

正直全然乗り気ではなかったんですが、
「そんなに言うなら…」ってことで
パチンコを打ち始めてみたんです。

2021年になったばかりの頃でした。

1年で120万勝ち…!

1年で120万勝ち…!

同じ時期にその友人から、
とあるパチンコYouTuberを
おすすめされました。

そこで偶然見たのが「釘読み」の動画。

要は、パチンコで勝つための
技術系動画です。

当然ですが、
パチンコ初心者だった私にとっては
初めて知ることばかり。

目から鱗の連続でした。

「パチンコってそうやって考えるのか」と、
感心したものです。

パチンコもスロットと同じように、

「引き」や「運」ではなく、
「知識」や「技術」で勝てることを
知りました。

そこから、
自分なりにパチンコの勉強を始めます。

パチプロの動画やツイートを見て、
「どうしたらパチンコで勝てるのか」を
徹底的に調べていきました。

学んだことはすぐにパチンコ店で実践。

学ぶ ⇒ 実践 ⇒ 学ぶ ⇒ 実践 ⇒ …を
とにかく繰り返す。

そうしていくうちに、
パチンコで勝っていくためのノウハウが
だんだんと身に付いていきます。

  • 釘の良し悪しが分かるようになる
  • 期待値を押し上げるための技術力
  • 押し引きの判断力

そして、
勝つための行動をできる限り徹底。

知識や技術があっても、
それを生かせなかったら
宝の持ち腐れですからね。

感情よりも論理を優先し、
常に正しい立ち回りを意識して
実践してきました。

その結果、
2021年の収益はプラス123万円にも
なったんです。

2021年収支グラフ
2021年収支

パチンコは、
やり方さえ間違えなければ勝てるゲーム

そう確信した1年になりました。

と同時に、
「これからもパチンコで稼いでいける」
自信をもつことができたことを
よく覚えています。

そしてその自信は、
しっかり結果となって表れました。

2022年の収益はプラス191万円

2022年収支グラフ
2022年収支

2023年の収益はプラス108万円

2023年収支グラフ
2023年収支

なんと3年で423万円のプラス

すでにスロットにお布施した
300万円は回収に成功。

ここから先は、
全てお小遣いとして上乗せされる
ことになるわけですね!

お金と気持ちに余裕がある生活

お金と気持ちに余裕がある生活

2021年7月頃からは、
私にとってパチンコは
すっかり副業になっていました。

月平均10万くらい
稼いでいましたからね。

本業で安定して稼ぎつつ、
趣味が副業にもなっている。

(本来お金が減るはずの趣味で、
 むしろお金が増えるって画期的)

お金に余裕があると、
気持ちにも余裕が生まれます。

  • 気兼ねなく外食できる
  • 月10万以上投資に回せる
  • 給料日を意識しなくなる
  • 3ヶ月前の給料で生活する
  • 値段を見ずにランチを選べる
  • 本や教材など、自己投資にお金を使える
  • マッサージや整体など、体のメンテナンスにお金を使える

お金に関するストレスを
まったく抱えなくなりました。

「お金がもったいない…
 パチンコやめなきゃ…」

と、自己嫌悪になることもありません。

むしろ、趣味のパチンコで
お金が増えているんだから、
やめる選択肢なんてありませんね笑

余談ですが、
9年続けた小学校教員も辞めました。

教員退職後、
プログラミングスクールに通って
10週間で600時間の猛勉強。

2019年にエンジニアに
転職することに成功。

ほとんど在宅勤務できるし、
好きな時に有給がとれるしで、
非常にストレスフリーになりました笑

その後、雇用契約から
業務委託契約に変更。

現在はフルリモートで
エンジニアの仕事を続けながら、

「個人で稼ぐ力をつける」という
目標を掲げて、スモールビジネスを
育てているところです。

「パチンコで勝っている」という事実が、

前向きでチャレンジングな人生に
させてもらえている

そう感じずにはいられません。

パチンコで人生確変のきっかけはつかめる

パチンコで人生確変のきっかけはつかめる

パチンコはレジャーであり娯楽です。

正直、真剣に向き合おうとする人は
少数派でしょう。

でも、ちょっとした知識と技術を知り、
メンタルのコントロールさえできれば、

パチンコは勝てるゲームなんです。

パチンコで勝つことができたら、
生活が少し豊かになります。

それだけでなく、
人生レベルで可能性が広がる
とすら思っています。

  • 勝ち分を元手に、投資に挑戦
  • 勝ち分を資金にして、副業を始める
  • 勝ち分で自己投資してスキルアップし、転職に踏み切る

パチンコで人生を変える
きっかけなら作れる。

わりと本気でそう思っております。

私の学びや経験が、
誰かの「人生確変のきっかけ」になるなら…

そう思って生まれたのが
ダイ(@daipachi777)であり、
本ブログ「人生確変スクール」です。

さいごに

さいごに

私はパチンコが好きです。

こう感じているうちは、
おそらく年を重ねても打ち続けます。

でも、私の人生の中で
「パチンコが1番」になることはありません。

あくまで、人生を豊かにするための
一つのピースに過ぎない。

パチンコとちょうどいい距離感を保ちつつ、
人生をより豊かに

そんなコンセプトのもと、
これからも発信していきます。